【殆どの人にはどうでもいい話】弟とブログ

ずいぶん迷ったのですが、やはり記事をアップすることにしました。99.99999999%くらいの人にはどうでもイイことでしょうが、他ならぬ私自身にとってどうでもよくないので。

取り消してしまうかもしれませんが、とりあえずアップ。

弟のこと

9月22日未明、弟は永眠しました。
弟っていっても、お年寄りであるワタクシの弟なので、けっこうなオッサンだったんですけどね。

ブログと何の関係もなさそうでしょ?
でも、そもそも、ブログ書き始めたのは、弟の病気がきっかけです。

そのことに触れずに、このままブログを書き続けることが、苦しくなってしまいました。

仙人みたいな人

弟は、ちょっと仙人みたいな人で、もともと神父になりたかった人です。

でも、家業を手伝ったりしているうちに、神父コースを完全に外れてしまい、40歳すぎた頃からは、神父は諦めて、修道士になろうとしていたようです。修道士も通常20~30歳くらいまでの年齢制限がありますが、弟の場合は、どこででも働ける資格とスキルがあったので、可能でした。

修道士になることも、胃がんの診断後は、諦めたようです。けっこう仲いいつもりだったけど、そういうこと、弟は話さなかったので、推測ですが。

モノを作るのが好きで、亡くなる直前まで、妙な便利グッズを作ったりもしていました。また、音楽が好きで、弟自身もクラリネットを地元のブラスバンドで演奏していました。

2014年クリスマスに胃がんの診断、2016年9月まで普通に働いていた

弟が胃がんだと診断されたのは2014年12月のクリスマスの頃。手術後は化学療法しながらもけっこう元気で、2016年9月中旬までは残業もけっこうして、働いていました。

2016年9月中旬、腹膜播種による腸閉塞で緊急入院→人工肛門。

人工肛門作ってからも、弟は復職する気満々でした。

が、みるみるうちに体重は70kg→45kgに。この状態を見て、さすがに復職は無理だろう…と、お別れの時期も年単位先ではなくて月単位先だろう、と、私は思いました。

そして、復職する気満々の弟でしたが、その後、2018年9月に永眠するまで、仕事に戻れることはありませんでした。

けれども、月単位ではなく、年単位での、当初思ったよりずっと長い時間を、友人や家族に囲まれて過ごすことができました。体調が良い時にはコンサートに出かけることもありました。

外で働かなくても稼ぐ手段のサンプルとしてブログを始めてみた

弟が復職することはないだろう(と、私が勝手に)思ったタイミングで、ブログは稼げることがあるらしいと聞きました。弟に少額でいいから稼がせたかった

弟は、傷病手当金も受給していたので、生活に困窮していたわけではありません。ですが、自分で生み出したお金を持たないことは、弟にとって辛いことでした。

そこで、とりあえず「私が」ブログを始めてみました。切実に稼ごうと思ったわけではありません。弟が生きているうちに、弟が自力でお小遣い稼ぎできることがあればいいかな、くらいの感じ。

そうやって2016年9月に始めたのが「ハウステンボスについて暑苦しく語るブログ」です。

もし、私がうまく稼げたら弟も始めればよいと思っていました。弟は高校生の時から日記をつけていて、その日記は読み物として、面白かったから、そっくりそのままブログに出してもいいんじゃないかと思ったのです。

でも、体調悪いのに頑張らせて、うまくいかなかった時にがっかりさせるのが嫌だったので、あまり強くは勧めませんでした。

実際、「ハウステンボスについて暑苦しく語るブログ」は、あまり稼げませんでした。だって、ブログで稼ぐって、結局、広告収入か、自社商品を売るしかないわけだけど、当時の私は、アドセンスの存在も知らなかったし、広告も殆ど貼ってなかったので、当たり前です。

ブログは稼げなくても楽しい

あまり稼げなかったブログですが、思わぬ副産物がありました。

  1. 書くこと自体がめっちゃ楽しい
  2. 出会いたかったけど、どうやったら出会えるか分からない人たちと出会えた
  3. アドセンスの存在を知って、広告貼ったらちょっとだけど稼げた(ゲームみたいで面白かった)

特に、2.の出会いね。

今まで探しても探しても見つからなかったハウステンボス好きの人が、ブログやってるだけで、向こうから私を探して見つけだしてくれるんです!

その中の1人は、ハウステンボスについてのブログを始めてくれて、私が行けない時期のハウステンボス記事を書いてくれるようになりました。すごく嬉しかった。顔も本名も知らないけど、確かな友情を感じています。

もっと書きたい出会いたい稼ぎたい

弟が稼ぐためのサンプルになればいいなと思って始めたブログですが、ブログを通しての出会いは宝箱のようでした。そして、アドセンス貼ったら、ちょっぴりだけど稼げてしまったのも嬉しい驚きでした。

私の場合、書くこと自体で報われてしまうのが、なかなか収益に結びつかない残念ポイントですが、逆に考えると、そもそも、何かしらのアクションが、それ単体で報われるってすごくないですか?

「隠居系元医師の人生逃げ切りブログ」

もっと書きたい出会いたい稼ぎたいという欲望のもと、2017年8月末に始めたのが、この「隠居系元医師の人生逃げ切りブログ」です。

結局、自分の私利私欲に向かって突き進むワタクシ。

医業を何にもしてない私にとって、自分が医師免許持ちであることを晒すのは、とても勇気が要ることです。医学のこと聞かれても分からんし、知識も古いし、絶対間違ったこと書くもん。それに、バカがバレるのがめっちゃ嫌。

でも、一方で、私が出会いたい人は、仕事の量が適切でさえあれば、本来、楽しんで仕事のできる人たち。人生やめるくらいなら、仕事辞めて逃げてほしい。本来好きだったはずの仕事に縛られて人生辞めたいと思っている人たちに会うには、「産業医であった私」が、ブログを書くのがいいかなと。

ハウステンボス好きの人と知り会えたのは、「ハウステンボス好きの私」がブログ書いたからだもん。

ハウステンボスについて「もっと」暑苦しく語るブログ

ついでに、それまでの形式だと、コメントに気づかずに返事が1ヶ月後とかになってしまっていたハウステンボスのブログを「ハウステンボスについてもっと暑苦しく語るブログ」に改め、移動しちゃおう…

と、思ったけど、それまでに頂いたコメントを消滅させずに移動するのが難しかったので、両方残す形にしちゃいました。

弟のブログ

隠居系元医師の人生逃げ切りブログを運営し始めて10ヶ月が過ぎた2018年6月中旬、弟が二度目の腸閉塞のため、最後の手術を受けました。

弟は最後の手術の日から絵日記を始め、それをブログに載せ始めました。

ブログは存在するだけで嬉しい

弟のブログは、blogger (google のブログサービス)を利用してのブログなので、なかなか人も集まらないだろうなと心配したけれど、「けっこう読んでくれる人がいるんだよ」と嬉しそうでした。弟は、亡くなる17時間前まで、ブログの下書きを書いていました。

ブログは淡々と綴られているけど、ガンと共に生きる生活が、全く辛くなかったはずがないのです。でも、ブログの中の弟は、なんだか楽しそうです。

弟が亡くなった今も、母や、私たちきょうだいは(弟も入れて4兄弟姉妹でした)、時々弟のブログを眺めて、クスリと笑ってしまいます。

弟のブログには私も時々出てきていて、なかなか酷い書かれようなのですが、こうやって残してくれたことが嬉しい。

でも、やっぱり稼がせたかった

弟のブログの管理は私が引き継ぎました。弟は、ブログを始めた時点で、あまり残された時間はないと思っていたのでしょう。もともと、そのつもりで、設定してあったのか、私も弟のブログの管理ページに入れるようになっていました。

2年前には、どうやって稼いだらいいか分からないままブログを始めた私ですが、今なら少しは分かります。でも、弟に稼がせたかったけど、間に合いませんでした。

弟が自分のブログで稼いだお金で買ったアイスクリーム食べさせたかったな。

 

 

弟のブログは、「最後の手術から 〜胃ガンと共に細く長く〜」といいます。

2 件のコメント

  • はじめまして。検診バイトの検索からたどり着いたブログを数日前から読ませていただいていました。病院にいて患者さんとはある程度の話をしても、ご家族の心情に触れる機会はあまりなく、ホロリとしました。ご冥福をお祈りいたします。

    • 名無しの若手さん

      ありがとうございます。

      弟は主治医の先生や、病院の看護師さんたちにも恵まれました。
      疼痛コントロールも良好になされ、臨終の際に付き添った母によれば、直前まで呼びかけに反応し、眠るように亡くなったそうです。

      死がこのようなものなら、悪くないなと思ったそうです。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    CAPTCHA


    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください